ジョーカー 感想

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最近話題の映画ジョーカー観てきましたよ!

ツイッターや映画のまとめサイト見てたら見たくなり、メシついでに友人と観に行きました。
マーベル作品を知らない20代男性のジョーカーについての感想になります。

 

ネタバレなし

ネタバレなしだとザックリした感じになります。
↓友人が終わって最初に言ったことば

「変人の蛮行を観る映画だったね」

 

・・・orz

まぁ特に興味なかった友人と行ったらこんな感じなんでしょうね笑
(友人を連れて行く時は事前に予告や特典映像とか調べてみたくなった友人と行くべきかも)

 

ただ、全然的を外した感想ではなく、ずっと主人公アーサー(ホアキン・フェニックス)の人生の転換期を観る映画でした。

そこは間違いない。

広告塔として「ピエロ」という職業をするコメディアン志望の男性。
持病を抱えた一人の男性の、社会、家族、個性、自己表現を扱った作品という印象です。

 

善悪の概念を取っ払ってみれば逆転のサクセスストーリーとなりうるけど、「ジョーカー」を見る前に観た「The King Of Comedy」と対比すると、どうしてもダークで、狂気的、不気味かつ、共感し難い部分が多い印象。

キングオブコメディは「コメディアンという職業」に重きが置かれ、ジョーカーは「自己表現」に重きが置かれています。

ただ、共通点はコメディアンだけじゃないと感じました。

ジョーカー 似た映画

 

ネタバレあり

言葉にするとチープな感じがどうしてもしてしまうのであまり好きじゃないですが、若干のネタバレありで考察を含めた感想をいうならば、

 

ジョーカーはアーサーの映画であり、「ジョーカー」誕生の映画でした。

 

アーサーは自分が「おかしい」、「普通じゃない」、「病気」なんだと思っていた。そうやって母親を含む周りの人達に扱われてきたし、自分もそうなんだと思って生きてきた。

 

でも、実際はそうじゃなかった。

 

アーサーが幼少期から虐げられる原因となった「おかしい」や「病気」は妄想性の障害を持つ虚言癖の母親によって生み出されたものだった。

本当はずっと「おかしく(可笑しく)」なかった。

子供にとって絶対的な権力を持つ母親に作り上げられた虚言の「おかしい」だった。気付くと「おかしい」は「病気」になり、「普通じゃない」がアーサーの普通になった。

 

そう、アーサーにとって母親の妄想は妄想じゃなかった。

 

アーサーは偽りの「普通じゃない」を母親によって作り上げられ、そこで母と共に生きてきた。

そして現実を知るにはおそすぎた。
虚言癖の母親を信じ「普通じゃない」に長く浸かりすぎたせいで、彼の人生の大半は「病気」と共に過ごした人生だった。

”見えにくい世界”だと思っていたのは母親が掛けたメガネのせいだったのだ。

 

多くを失った代わりに、自分を見つけたアーサーは輝いていた。

バカにしたヤツらを見返し、テレビにコメディアンとして出演し、人々はアーサーをヒーローとした。

そして彼の悲劇は喜劇になった。

 

転機となったのは仮面を付けて3人に報復をしたあの場面。

政治家の言葉を借りれば、「仮面を付けなきゃ何もできないマイノリティ」だそうだが、実際には、引け目を感じる「おかしい」アーサーは全てを失い、自分を受け入れ「ジョーカー」という仮面を付けたアーサーはコメディアンとしてTVに採用される。

そのTVの席では司会者に「ジョーカー」と呼ばせ、自ら仮面を被った。

そして、マイノリティだったはずのアーサーは自分を「おかしい」とする司会者に報いを受けさせ、アーカムの顔としてその日誕生した。

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